”裏”社会科シリーズ 世界史編2〜ハワイ〜
アロハ!(ハワイの言葉でこんにちは)
社会科の伊藤です。
”裏”社会科シリーズ第二弾は日本人が大〜好きな、ハワイについてお話しようと思います。
ところで、皆さんはハワイはかつてハワイ王国という独立国家だったことを知っていますか?
現在、ハワイはアメリカ合衆国の州の一つで、軍事的・経済的にも重要な拠点です。
しかし、ハワイに行ったことがあったり、少しでもハワイに興味がある人なら分かると思いますが、「フラダンス」や「カメハメハ大王」という、いかにもアメリカ文化らしくないものを多数、ハワイの中では見かけます。
これらは、ハワイがかつて独立した国家だった名残で、現地のネイティブ・ハワイアンをはじめとしたハワイ住民が今もその文化を受け継いでいます。
そんなハワイですが、かつて独立国だった頃、日本とも外交関係を結んでいました。
今回は、日本とハワイとの間であった関係を紹介しつつ、ハワイ王国の歴史について説明していきます。
ハワイ王国の成立
ハワイ王国の成立は意外と新しく、1795年にハワイ全島が、かの有名なカメハメハ大王によって制服・統一され、ハワイ王国が建国されました。
1795年から、初代のカメハメハ1世からカメハメハ5世までおよそ80年に渡ってカメハメハ王朝が統治していましたが、1872年にカメハメハ5世が崩御すると、ハワイ王国政府は選挙によって国王を選出する、選挙君主制に移行しました。
選挙の結果、ルナリロ王が新たな国王に即位しましたが、病気のため1年で崩御。
再選挙により、カラカウア王が即位し、ハワイ王国滅亡までこのカラカウア王の一族が正統な王族となっていきます。
しかし、ちょうど同じ頃、アメリカから多くの移民が入植してきており、サトウキビなどの農作物の輸出によって経済力を高め、移民してきたアメリカ人たちが経済力を背景にハワイ王国の政治にも度々介入してくるようになってきました。
アメリカの真の狙いは、こうして内部からハワイ王国を乗っ取ることだったのです。

ハワイ王国が助けを求めた先
アメリカの思惑を理解し、現状に危機感を抱いたカラカウア王は1881年、明治維新が起きて間もない頃の日本に来訪しました。
日本にとっては、明治新政府発足後、初の外国元首を迎えることとなりました。
国賓待遇で来日したカラカウア王は、明治天皇と謁見し、日本に対し五つの事項を養成します。
- カラカウア王の姪である、カイラウニ王女と東伏見宮依仁親王との縁組
- 日本とハワイの連邦化
- 日本、ハワイ間の海底ケーブル敷設
- 日本主導によるアジア連邦設立
- 日本からのハワイ渡航移民の促進
アメリカからの移民により、ハワイ王国の独立が脅かされていた状況に対し、カラカウア王は、日本と手を組むことによって白人移民の力を弱め、最終的には日本との合併を提案しました。
しかし、明治維新後間もない日本は国力が乏しく、そのような事を行う余裕が無いのに加え、ハワイと手を組むことによって、ハワイを狙っているアメリカとの関係が悪化する事を恐れて、ハワイ王国から示された提案の殆どを断りました。
かといって、新政府が発足してから初めて来訪した海外国家元首の提案を無下にするわけにもいかず日本は、日本からのハワイ渡航移民の促進のみを承諾しました。
その後、日本政府は国策としてハワイへの移民を推進していきます。
現在でも、ハワイに多くの日系人が住んでいたり、日本語が通じる観光地が点在している背景にはこのような経緯がありました。
カラカウア王が来日した後、ハワイ王国は日系移民を多く受け入れ、欧米系移民の台頭を抑えようとしましたが、日増しに経済的、政治的に力を増していく欧米系移民の力の前には焼け石に水状態でした。
そして遂に1893年、欧米系移民達によるクーデターが発生。「アメリカ人の保護」を名目にアメリカ海兵隊もホノルルに上陸し、ハワイ王国の政府庁舎は占拠され、欧米系移民によるクーデターによって親米政権が樹立、1895年にワイキキで親米政権に反対していた先住ハワイ人達が「反乱の鎮圧」を名目に虐殺されました。
カラカウア王の跡を継いでいたリリウオカラニ女王は反乱の首謀者とされ、捕らえられて幽閉されることとなり、1898年にアメリカによってハワイは併合されてハワイ王国は完全に消滅しました。
アメリカによるハワイ併合が成った時、ハワイ政府庁舎からハワイの国旗が降ろされ、アメリカ国歌が演奏される中、島中のハワイ先住民が大声で泣いたとされています。
フラダンスでも有名で、皆さんもどこかで聞いたことがあるであろう曲、「アロハ・オエ」は、幽閉中のリリウオカラニ女王が滅びゆく祖国の悲壮を重ね合わせ、国民への感謝と惜別の想いを込めて作った歌なのです。
