芸術によって豊かな社会は構成されるのかも
皆さん、こんにちは。
塾長の江田です。
今日は趣味について語っていきたいと思います。
新しい趣味、始めました
今年の目標が「無」なので、マインドフルネスを実践できる趣味はないものか?と考えたところ、実用も兼ねて書道を始めてみました。
もともとそんなに器用ではないので、ピアノは弾けるけど絵や工作が非常に苦手で、紐を結ぶのも得意ではないのが少しコンプレックスとしてあるのです。
どうやら空間認知能力が低いようなので、道にも迷いやすいですし、空間図形を考えるのもやや苦戦します。
思えば、天体の運動とかを立体で考えるの苦手だったなぁ・・・。
本当は絵画や彫刻など人間が何千年もの間愛してきた古典的芸術がいいのですけど、絵や工作をいきなりやると辛い思いの方が多いだろうということで、ベイビーステップのつもりで書道を始めようと考えた次第です。
最初なので安いセットを早速購入しまして、友人の勧めもあり水で書ける半紙も購入して練習を始めました。
地味にこの水で書ける半紙、感動しました(笑)
字を書きたい欲を抑えて、まずはとめ・はね・はらいの練習から。
お手本を見ながら集中してやると、なるほど確かにに思惑通り心が「いまここ」に集中できているような気がします。
こういう「〜道」って、武道でも心・技・体とか言われるように、心がまず大切なんだなぁと改めて実感。
大昔はそれこそマインドフルネスなんて言葉はなかったと思いますが、こういうのを実践で発見していった過去の人たちには尊さを感じます。
趣味(芸術)の奥深さ
ところで、私はピアノ、今始めた書道、少し前からはまってしまったシールアート(ビックリマンなどのおまけでついてくるシール)に共通するものを見出しました。
それは、「制限された中で工夫する」という点です。
人間とは勝手なもので、完全に自由なものより、なんらかの制限があるものに魅力を感じるようです。
スポーツなんかもまさにそれです。
ピアノ、特にクラシックピアノなんかを嗜んでいますと、わからない人からすると「大昔から変わらない曲を何度も聴いて面白いの?」なんて考える人もいるようですが、譜面(というより音楽文法)と鍵盤という制限がありながらも、弾く人によって解釈も異なれば、1音1音のタッチさえ変わってくるという所に人間の能力の素晴らしさ、芸術性をなぜか感じてしまいます。
最近好きなシールアートも、小さい四角の中に、背景のデザイン、紙質、箔押し、小さい枠に合うようデフォルメされたキャラクターなど、なんかアートを感じてしまうのです。
仕事も似たような点があるんではないかと思います。
限られた資金、時間、資源を使ってどれだけ最大限顧客の満足に応えられるか?というところには実はアート性が潜んでいるような気がします。
ビジネスにもアートが必要だと著書で述べていたのは落合陽一さんでしたっけ。
自分も書道などを通して、アート性が少しでも身につけば良いな、と思う次第であります。
そういえば、エリック・カンデルという神経学者が「なぜ脳はアートがわかるのか」なんて本を出していまして、未読なんで読んでみたいところ。
学者界隈でもアートが注目されてきているのでしょうか。
エリック・カンデルといえば、「記憶のしくみ 上下巻」が読みやすそうな装丁とは裏腹にとても精緻なものになっているので、記憶とは何かについて、話す機会がありそうな人は覚悟して読んでおいた方が良いかもしれません。