学ぶことの意味とは?
こんにちは。
えだサポ・江田塾塾長の江田です。
学ぶことの意味ってなんでしょうね。
多くの学生さんにとって、勉強する時間は苦痛な時間であると思います。
「学生は勉強するのが仕事!」と大人はよく言いますが、そんなの分かってるよ!!と叫びたい気持ち、すごく分かります。
私も昔そうでしたから(笑)
孔子の教えから紐解く、学ぶことの意味
世界的に有名な、孔子の論語の一節に「子曰く、学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ちあやうし」という言葉があるそうです。
簡単に言えば、人から教わったことは自分の考えなどにしみこませなければ無意味で、かといって自分の頭と体験だけで意見を持つと独善的になるため良くないという意味です。
孔子が凄いのは、科学的な研究を待たずして、深い考察の末に本質を突くような命題をいくつも生み出している点ですね。
近年においては「思いて学ばざれば則ちあやうし」というのは研究データによっても示されています。
バイアスやヒューリスティックスという言葉はご存じですか?
両者は似て非なるものなんですが、どちらも一言で言うならば思い込みのこと。
例えばバイアス、ヒューリスティックス研究の第一人者であるダニエル・カーネマンによれば、「rから始まる英単語と、3番目にrが来る単語はどちらが多いか?」と質問すると、多くの人がrで始まる英単語が多いと答えるそうです。
正解は3番目にrがくる英単語の方が数が多いそうです。意外ですよね。
これは3番目がrの単語よりも、rで始まる英単語の方が思い出しやすいため、きっと数も多いのだろうと推測するんだと説明されています。これを利用可能性ヒューリスティックスといいます。
こういった思い込みは実は人間である限り避けられません。
全部脳みそが自動処理していますので、意志の力ではどうにもなりません。
だけど、それに気づき回避することはできます。
そのために自分一人の意見だけでなく、様々な人、本、研究、データ、物、事象から学ぶことの重要性を孔子は説いているんですね。
私が考える学ぶことの意味
この世に存在している事象全てに、きっと真実というものがなんらかの形で存在するのでしょう。
でも、私たちのバイアス、ヒューリスティックスというフィルターのせいで、真実が見えにくくなっているのも事実。
私は学ぶことの意味の一つは、自分の経験や直感からくる意見が単なる思い込みではないかと疑い、バイアスやヒューリスティックスの呪縛から逃れるようになるための訓練と考えています。
深く学ぼうとする時、必ずと言っていいほど直感に反する事実を知ることになります。
例えば、好きなことを仕事にすると幸せそうに感じますが、実際に好きなことをしている人のデータをとると、案外幸せではないし、スキルも伸びにくいことが分かってしまう。
ここで心理的に葛藤が生じ、人によってはプライドが傷つけられたり、怒りを感じたりする人さえいるかもしれない。
これを克服するのが論理の力なんですよ。
直感に反することを理屈で納得するんですね。
理屈により納得し、説得されると、やはり自分の考えは思い込みであったことに気づくことができます。
学びってこの連続じゃないでしょうか。
この過程で徐々に徐々に、自分だけの独善的な考えから、より真実に近い考えに近づいていくものなんじゃないでしょうか。
youtuberの予備校のノリで学ぶ「大学の数学・物理」、通称ヨビノリのチャンネルで、「中学数学からはじめる相対性理論」という動画があるのですが、そこで、相対性理論を学ぶメリットを「直感に反することを理屈で受け入れる訓練」と説明しています。
私の考えとほぼ同じであったのでここに紹介しておきますね。
学ぶ理由は人それぞれあって良いと思います。
学歴自慢のためであっても、資格試験のためでも、単に好奇心を満たすためであっても。
でも、誰かに学ぶ「意味」を問われたらあなたはどう答えますか?
その答えを探し続けることも、また大切な学びなのだと思います。